楯越山頂上付近に展望広場・遊歩道・駐車広場を整備しました。
展望広場からは日生港、日生エリア一帯が一望。
また日生諸島の美しい景観が目の前にせまり、心の安らぐ公園として親しまれています。
瀬戸内海国立公園日生諸島の日生エリアは古来から漁業の町として海の恩恵を受けて栄えてきました。
「もやい」とは、漁師さんの間で船と船とを繋ぎ結ぶ、つまり「日生町へお越しくださるお客様と住民が共に手と手を繋ぎ、寄り合い親しみを深め合う」という趣旨から命名いたしました。
四季を通じ、獲れたての魚介類たっぷりのおもてなし。美しい島々を眺めながら、ロマンあふれる日生諸島で、栄枯の昔をしのんでみませんか。
必ずご満足いただけるものと思います。観光のあとの、ご休憩とお食事は「もやい茶屋」をご利用ください。
季節料理、特別料理「カキ鍋」「サワラの炒り焼」「活造り」「オードブル」などはご予約ください。
※季節により、価格が変わる場合やご用意できないメニューもございますがご容赦ください。
加子浦歴史文化館は、日生の歴史や産業をテーマ毎に展示した資料館と、備前市日生町出身の文芸作家の活動を展示した文芸館からなります。
資料館は「海とともに生きるまち」をメインテーマに、弁財船や打瀬船の模型・船具などを展示しています。
文芸館では、作家・里村欣三、児童文学作家・牧野大誓、日本画家・久保田耕民の活動、作品を展示。現在作曲家として活躍中の岡千秋さんのコーナーもあります。
またこの文化館の建物は、町内に現存する最古の建物である、当時の網元「筑前屋」の屋敷を移築・再現しています。
JR日生駅から徒歩で約15分、日生町漁協の市場では、早朝に水揚げされた魚が、漁師のおかみさん達の手で威勢良く売られています。
どれも獲れたての新鮮さで、値段も市価より格安。午前9時頃から市が立ちます。
また、頭島では6~10月の午前中に市が立ちます。
最近は、開かれていないことがあるので頭島へお問い合わせ下さい。
収蔵品の中心は、古代アメリカ大陸で作られた土器・土偶・石彫・織物など中南米の文化遺産がずらり約百五十点(収蔵資料約千六百点)。
国内でもこんなに数多くコレクションしているところは珍しく、質・量ともに学術上・美術史上において極めて貴重であることが明らかになっています。
コレクターの故森下精一氏は、備前市日生町で漁網の製造・販売を営んで、一代にして財を成したという根っからの海の男。
商用で南米を訪れたおりに古代アメリカ文化の遺物に触れ、魅力にとりつかれて収集を始めたとか。
古代アメリカには二つの高文化圏が形成されていました。メキシコ中央部からグアテマラにかけての「メソアメリカ文化圏」、そしてペルー・ボリビアに栄えた「中央アンデス文化圏」。
また、この間のコスタリカ・パナマ・コロンビア・エクアドルの「中間地域」、「カリブ海地域」にも個性豊かな文化が発展していました。
ペルーの鋳型壷などのような土器・石器類、鳥文様綴織緑飾裂房付などの織物、コスタリカの香炉や石の祭壇、エクアドルの土偶などなど、それぞれの文化の流れを象徴する個性的な出土品が、当時の文化の高さを物語っています。
楯越山頂上付近に展望広場・遊歩道・駐車広場を整備しました。展望広場からは日生港、日生エリア一帯が一望。
また日生諸島の美しい景観が目の前にせまり、心の安らぐ公園として親しまれています。
瀬戸内海国立公園日生諸島の風光明媚な大自然の中に縄文時代の集落を復元したのが古代体験の郷「まほろば」です。
鳥のさえずりとともに目覚め、茜色の夕日を眺めながら今日を終える・・・。
人間の基本に立ち返るような、そんな時間を過ごしていただける場所です
周囲4kmと小さな島ですが、日生諸島の中では最も人口が多く、郵便局・小 学校・診療所・漁業組合などの施設があります。
魚釣り・観光底引船・島巡り・海水浴・みかん狩りと、年中多くの観光客で賑わいます。
周囲5kmの島の北岸は天然の良港をなし、南岸は奇岩に富み、「勘三郎洞窟」など大小の洞窟があります。
古くは甲島、香島と書かれたここ鴻島は、往時、鴻(おおとり)が多く生息してことから、現在の名前に変わったと言われています。
古墳や土器が出土していることから、太古から人が生活していたことが分かっています。そして平安朝の都人が往来したと伝えられている、歴史のある島です。
最近では海水浴やミカン狩り、潮干狩りなどレジャーが盛んで、一年中多くの観光客が訪れています。山頂から望む景色も大変雄大です。
また鴻島は「憩いの島」というキャッチフレーズがぴったりの島でのんびりくつろぐには最適です。
宿泊施設や別荘もたくさんあり、これが鴻島の特徴となっています。
明冶政府の外来思想排斥政策は、多くのキリスト教信者を心身ともに苦しめました。
岡山城下から約50km離れた無人烏「鶴 島」に送られたキリシタンたち(長崎県浦上キリシタン教徒117名)は、自由な身になるまでの3ヶ年半をこの島で過ごしましましたが、すしづめ状態の長屋、土地の開墾、説教聴問などに耐えかね、改心する者もいたといいます。
この島は草地で開墾するには適しており、大豆、麦、さつま芋などが作られていましたが、それらの作物を口にすることは許されていませんでした。
この島で亡くなった18名のキリシタンたちは、島の南東の丘斜面に葬られています。
千七百年余り余りの歴史を誇る三石明神社は、その昔、神功皇后が西に向かわれる時ご休憩になさっ由緒あるところ。
その時、皇后はご懐妊 されており付近の岩が子を孕んだようになったと言われています。
そのことから別名を孕石神社と呼ばれ、子宝を授かりたい人や安産を願う人々が祈願を受けに訪れるようになりました。
早く子供が欲しい方は一度訪れてみてはいかがでしょうか?
ここから切り出される「ろう石」と粘土は良質で昔から石筆や印鑑の材料に使われていました。
そして明治23年頃からは備前市の主要産業の一つとなる事がわかり、現在でも耐火煉瓦の原料として全国でも有数の産出量を誇っています。
深い原始林は閑静で、聖域にふさわしく、神社と自然の調和が良く保たれており、心休まるものがある。
高さ13m、幅2mの雌雄2段の滝は、東備地区最大のもので、一幅の山水画である。
八塔寺山へのつづらおりの坂道をぐんぐん登ると突然視界が開け、山頂部にかやぶきの農家が点在するのどかな風景が広がります。
標高400mの高原に開ける「八塔寺の村」。
高野山に並ぶほど仏教が栄えたこの村も、今では戸数約13戸、ふるさと村のシンボル的存在の”カヤ葺き民家”と寺院からその歴史がほのかに漂う・・・
そんな心あたたまるのどかな景色の中を、時計を外してのんびり散策すれば、遠い昔にかえったようななつかしい思い出がいっぱい。
八塔寺山からは、遠く南に瀬戸内海、北に中国連山の美しい眺め。付近には民宿・レクリエーション・レストランなどの施設も整備されています。
また、映画”黒い雨”、テレビドラマ”八ツ墓村”や”火垂るの墓”のロケ地となったことでも知られています。
堤の長さ226mの八塔寺川ダムは水と緑のやすらぎゾーンです。
サイクリングロードで続く、ダム湖上流には、赤い吊り橋が架かり、春は桜、秋は紅葉の名所ともいえる、渓谷レクリエーション広場。
町北部の八塔寺ふるさと村と並ぶアウトドアエリアとして脚光をあびています。
一のお山をはじめ、豪荘な七つのお山が築かれた和意谷は標高350m~400mの緑豊かな山々に閉ざされた谷。
耳をすませると微かな風にこたえる木々の声と、ささやくような小鳥のさえずりが乾いたこころに心地よい。
閑静で風光明媚な絶景地として、山陽新聞の「岡山県15景」にも選ばれ、国指定史跡になっています。
「町中部の森の中に池田光政が一族の墓所として津田永忠に造らせた豪壮な和意谷墓所。」
旧岡山藩主池田光政が、祖父輝政、父利隆らの墳墓を領内に遷葬した和意谷墓所。
墓域は約11ヘクタール。亀の形をした台石の上に大きな墓碑が載った“一のお山”は、光政の祖父で姫路城を築いた輝政。
“二のお山”は父利隆。“三のお山”が光政の墓など墓所には七つの“お山”が築かれ、踏み石約二千個が並べられた、2キロに及ぶ参道で続いています。
空へつきさすような石段を登ると、20万個とも30万個ともいわれる備前焼の牛の山が参拝者を迎える。
鳥居こそあるものの神殿は設けず、神職もおかず、地元の人々により交代で当屋が務められ今につがれています。
閑谷学校を北進。トンネルを抜けると緑地公園が左手に広がります。
大小の池が2つ有り、下の小池がヘラブナ釣りが楽しめるつり堀公園です。
入園料大人500円、小人300円で貸し竿がありますので、道具が無くても大丈夫です。
ただし、えさ代は別途(200円)必要です。
本部
〒701-3202 備前市日生町寒河2570-31
TEL:0869-72-2151
FAX:0869-72-2153
三石支所
〒705-0132 備前市三石1094
TEL:0869-62-0228
FAX:0869-62-2139
吉永支所
〒709-0224 備前市吉永町吉永中882-1
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FAX:0869-84-3965