昔,仁徳天皇と恋に落ちた黒姫は,磐之媛のやきもちから,吉備の国へ帰されてしまった。弟彦王の子孫で大和と吉備の境界を支配する佐伯命はふびんに思い,大和の仁徳天皇と吉備の黒姫を手引きしてこの地に二人を呼び寄せた。現在の「ふれあい橋」の付近は,そのころ吉井川を挟んで鳥居がつながっていたが,二人はこの鳥居の列を,船でくぐり再会を果たすことができた。そのとき二人は,船が近寄るのももどかしく,身を乗りだしてお互いを引き寄せたのである。
佐伯命は二人に八木尾(ロマンツェ手前の分かれ道付近)にあった命の宮所を貸し与えた。やがて大任のある天皇は大和へ帰ってはいったが,黒姫はみごもり,かわいい姫を生んだ。政略のためはからずも仁徳天皇の正妻に据えられた八田若郎女は,あえて子を生まず,二人を祝福し,慈愛をこめて生まれた姫が無事育つようにと,田と倉を与え,さらに矢田姫の名前まで授けてくださった。
その田のあった所が八田若郎女の名をとり矢田部という地名に,国の屯倉だということで三宅(加三方)という地名になったという。
山方に蒔ける青菜も吉備人と
共にしつめば楽しくもあるか (仁徳天皇)
大和方(やまとへ)に西風(にし)吹き上げて雲離れ
退(そ)きに居りとも吾忘れめや (黒 姫)
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