自然、眺望、景色

藤公園

 北は北海道五稜郭の藤、南は鹿児島・磯庭園の藤と、全国より国や県の天然記念物の指定を受けた藤が勢ぞろい。7000平方メートルの芝生の公園に幅7メートル、総延長500メートルの藤棚には150本の藤が4月下旬から5月中旬にかけて咲き誇る。和気駅から4km。

名勝 芳嵐園 (和気神社外苑)

 その名は吉(芳)野山・京都の嵐山の風景にちなんでつけられ、むかしから桜の名所として有名。夏ともなれば清流日笠川に新緑が 映えカジカが鳴き、ホタルが飛ぶ。秋には紅葉と、四季を通じて楽しめる公園。

新田原井堰(しんたわらいせき)

 長さ220メートル、高さ8.2メートルで調整水門など5門を持つ。有効貯水量は200万トンで、井堰として全国一の貯水能力を誇る可動式井堰。農家の水田と 畑をあわせて約7,000ヘクタールの 用水を供給。和気駅から約5.5km。

河川公園(かせんこうえん)

 建設省の桜づつみモデル地区として誕生した公園。春の桜、秋のモミジが楽しめる。 また河畔には県下一のゲートボール場、軽スポーツ広場も整備されていて、公園内の山小屋風無料休憩所「リバーサイド和気」と共に多くの人で賑わう。和気駅から1.5km。

和気富士(わけふじ)

 明石景行・宣行兄弟の北曽根城(黒山城)跡のある城山は通称・和気富士と呼ばれ、春にはツツジが咲き乱れる。標高173mの頂上からの眺望はすばらしく、和気鵜飼谷温泉、鷲の巣などの和気アルプス・ハイキング・コースが続いている。和気駅から約0.5km。

題目岩(だいもくいわ)

 大阪の商人、田中佐平治氏が地元の仲介で 大正3年に永代供養と社会平和を願って造り、 本成寺に寄進したもの。和気富士南面山麓の 自然岩に刻まれた日本一の「南無妙法蓮華経」の 題目岩。すぐ隣には同じく自然岩に刻まれた 「蚕霊之碑」がある。和気駅から0.5km。

室原すももの里(むろはらすもものさと)

 十数品種、約千本のスモモの木を栽培する町営の観光すもも園。夏には甘酸っぱい果実となってたわわに実り、すもも狩りを楽しむ人達で賑わう。毎年7月初旬、「スモモまつり」を開催。和気駅から約14km。

鷲の巣(わしのす)

 この名は、高さ約70メートルのこの岩に鷲が巣をしていたところから呼ばれている。山岳愛好家の間では関西随一のロッククライミング練習場として利用されている。和気駅から約2.5km。

詩の散歩道(しのさんぽみち)

 郷土出身の作家、近松秋江にちなんで文学の小径。和気清麻呂の銅像近くの木立の中にある秋江の文学碑を起点に、和気神社を一周する約350mのハイキング・コース。その散歩道の両側には「町の木」であるモミジが植えられ、境内にあるスギやマツ、カシなどの緑と調和している。和気駅から約4km。

歴史街道 - 旧和気町方面

はじめに

 備前国和気郡より出て、奈良時代から平安時代への激動の転換期に中央政界で重きをなした和気清麻呂。この写真はそんな彼のりりしい姿です。和気町について語る時、この郷土の偉人・清麻呂公とその姉・広虫姫を抜きにしては語れません。
 信念を持って国事に尽くし、数々の功績を挙げ高い地位にありながらも故郷の窮民の生活を忘れる事がなかったと評される清麻呂公。戦乱による孤児の養育に努めた広虫姫。その精神は和気町の目指す人づくり、町づくり、社会づくりのよりどころとなっています。

和気清麻呂(わけのきよまろ)

 和気清麻呂は平天五年(733年)に備前国藤野郡(現在の和気町)で生まれました。  『日本後記』によると清麻呂の先祖は第11代垂仁天皇の皇子鐸石別名で、命の曽孫・弟彦王が、神功皇后に反逆した忍熊王を和気に攻め滅ぼし、その功績で藤野県を与えられてこの地にやってきたとされています。以来、王の一族は土着し、美作・備前の国に栄えることとなり、当時は藤野郡の郡司でした。
 まず、三歳年上の姉・広虫が采女として郡に上り、その口ききで 清麻呂が上京したと思われます。二人が上京した頃の郡は東大寺を建築中で、仏教文化が栄え、その一方では政治上の暗躍も 盛んだったようです。
 日本の古代史の中で、奈良時代から平安時代の転換期に活躍した和気清麻呂。桓武天皇の信任を得て近畿地方の河川改修や開削を行って治水に努め、数多くの土木事業を成し遂げました。そして、美作・備前国造として郡民の負担軽減をはかるなど民政の安定と発展に努めたのです。常に誠実に業務をこなし摂津大夫、民部大輔、中宮大夫、民部卿を歴任し、特に至誠を貫いた道鏡事件、及び平安遷都は彼の立案であったことなどは史上有名です。

和気広虫(わけのひろむし)

 備前国和気清麻呂の三歳年上の姉・広虫は、当時中宮職の官人であった葛木戸主と結婚し、夫婦ともども光明皇太后の側近として重用されました。地方の郡司のならいで采女として都に上がり、孝謙上皇に仕え、勅を伝宣する女官を務めました。その人柄は「貞純で節操に欠けるところがない」と評価されるほどでした。

 天平宝字八年(764年)、恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の逆徒の助命を嘆願して、死刑を流罪に改めさせました。この乱により生じた孤児八十三名を収容し、彼らを養育して、夫の姓、葛木を与え親子関係を結びました。これがわが国最初の里子制度・施設養護(孤児院)の始まりとされ、広虫の崇高さを讃えるゆえんとなっています。

 この写真は、和気広虫の座像(備前焼、高さ78cm)で、和気町歴史民俗資料館に展示してあります。


歴史ウォーク - 旧佐伯町方面


出発

 「和気町役場佐伯庁舎駐車場」には、旧佐伯町の観光看板がありますので良く見ておきましょう。平日なら、一階右奥の産業振興課でパンフレットをいただきましょう。
 駐車場を表へ出ると佐伯中学校があります。この校門の右に「黒姫伝説の看板」があります。五世紀の初め、前方後円墳で有名な仁徳天皇が、この地で吉備の黒姫と隠れ住んだというお話が書かれています。
 さて、右に歩行者専用の橋があります。「ふれあい橋」は吉井川に架かる橋で、元は「佐伯橋」と呼ばれていた昭和10年完成の橋です。今は、創作タイルが敷かれ、リニューアルされました。下を流れる吉井川は「日本第二の源流」と呼ばれ、高知の四万十川の次に「大きな鮎」が獲れることで料理界では少し有名です。

ふれあい橋 → 妙泉寺 → 寺山 → 宇佐八幡宮

 「ふれあい橋」を渡って地元の人が教会所と呼ぶ「妙泉寺」を訪れましょう。
 ここは江戸時代には秘密宗教だった日蓮宗不受布施派のお寺です。明治になってキリスト教と同様に信仰を許されたので、教会所と呼ぶのです。不受布施派の受難を説明した看板がありますので、見ておきましょう。不受布施派の受難については、このあとこのウオーキングでも紹介します。

 タバコ屋の路地を入って古代の霊山「寺山」を登りましょう。低い山ですから遊歩道に沿って登って下さい。途中「冠句の札」が立っています。楽しみながら休み休み登るのもいいでしょう。冠句とは季語を気にせず詠む五七五の十七文字で、最初の五文字と同じ始まりで後の七五を続ける簡単な詩です。

 登りついたら公園があります。「大正園」と名づけられています。佐伯盆地の風景をお楽しみ下さい。この寺山は古代の霊山で、「神村山」と書いてミワムラヤマと呼んでいました。西の方向にほぼ同じ大きさの山「新田山」があります。シンダヤマの音が「死んだ山」に聞こえるので土地の人は忌み嫌いますが、元々「神壇山」と呼ばれていたらしく、この寺山からそちらを拝んでいたようです。

 大正園をさらに上に行くと寺の山門が見えます。
 「本久寺」です。戦国時代、岩戸の「天神山」を滅ぼした宇喜多家は、「神村山」にあった「宇佐八幡宮」を追い出し、城を兼ねた「本久寺」を建立しました。さらに日蓮宗により民衆を掌握するため、北にある大王山にあった「密厳寺」を追放しその石造塔を二基が移築されています。その他の事は、そちらの看板をごらん下さい。
 石造塔のほかに天井絵も有名ですが、こちらはお寺の承諾をもらって見せてもらいましょう。

 次に「宇佐八幡宮」へ向かいましょう。
 舗装された道を進んで下さい。途中また小さな公園があり、T字路を右に少し下りましょう。少し進むと、左に登る道があり、左に注意して歩くと鳥居が見えます。ここにも説明看板がありますので、読みましょう。この神社は「総社宇佐八幡宮」といい、元々あった「神村山」の神様をたくさん祀ってあります。また拝殿の絵馬も見せてもらいましょう。

 仁徳天皇と吉備の黒媛の伝説も伝えている古い神社です。時間があれば、もう一度坂を登って「新田山」の方へ行ってみましょう。先ほどのT字路からすこし行くと南に片山池が見えます。「新田山」の裏側は現在、化粧品「明色アストリンゼン」でおなじみの株式会社桃谷順天館の岡山工場になっています。さらに回り込むと住宅地になっています。

 道の右側に古墳の様な物がポッカリ口を開けています。何でしょうか? たぶん「庵の前古墳」だと思いますが、この周辺に八個の古墳があるので確かな事は言えません。土地の人に聞いてみるのもよいでしょう。

矢田部六人衆 → おきた姫

 さて、次の目的地は「矢田部六人衆」です。道ばたに案内看板があります。
 ここを右の細い坂道を登って下さい。六角の石塔が奉納されています。受難の歴史を語る石碑もありますが、漢文ですので読めません。もう一度道ばたに戻って再確認しましょう。道ばたの看板から左へ入ると「おきた姫」の看板もあります。

 ここらあたりは黒媛を保護した八田若郎女(ヤタノワカイラツメ)の所領の地で「唐人町」という地名もあります。真偽のほどはよくわかりませんが、ここが古代には磐梨の国の中心地だったと言われています。
 時代が下って岡山市の国府市場が中心地に変わったと土地の人は信じています。佐伯小学校の裏山を舟岡山といいますが、この地名の由来はまだ調査していません。

帰路

 帰りは車に気をつけて旧県道をお帰り下さい。学校横の文房具店の自動販売機で缶ジュースでもお買い求め戴ければ幸いです。
 また、食料品店(最初のタバコやから四軒南の向かい)で佐伯蒟蒻(こんにゃく)をおみやげに、正面の道の先には「お好み焼店」もあります。歯の丈夫な人には「ホルモンうどん」がおすすめです。ついでに、食料品店の横はきれいな旧家「なまこ壁の倉」で、その向かいには、「旧・森医院」の洋館があります。
 これで行程は約5kmになります。

りんご園(佐伯ファミリーパーク)

 私たちの佐伯町は周囲を山に囲まれた小さな盆地です。町北東部の標高四三〇メートルの高台に、りんご園として知られる佐伯ファミリーパークがあります。  ここには、観光りんご園のほかに果樹公園、スポーツ施設、宿泊研修施設などが、完備されていて、風光明媚な高台地から遠くは中国連峰や瀬戸内海の島々も一望できます。

天神山(天神山城跡)

 天神山城は享禄五年(一五三二)頃浦上宗景によって築城された連郭式山城で、天正五年(一五七七)に岡山城主宇喜多直家に攻められて落城するまで四十五年間にわたって宗景が在城し、備前・美作南部を支配する拠点となっていました。  西から東へ渡る天神山の稜線に沿って、三の丸、桜の馬場、長屋の段、二の丸、本丸、飛弾の丸、馬屋の段、南櫓台、太鼓の丸と呼ばれる郭の石垣や空掘、堀切り、井戸などの遺構が残っていて、家族づれのハイキングコースとしても親しまれています。(岡山県指定文化財)

本久寺(日蓮宗太王山本久寺)

 本堂は天正九年(一五八一)起工し、同二年(一五八三)完成。 慶安四年(一六五一)に大修理こそ行なわれていますが、創建当時の豪壮な桃山建築の特色がよくのこされています。(岡山県指定文化財)  また、境内には太王山頂の密巌寺跡より移転された高さ約七メートルの堂々たる石造九重層塔(県指定文化財)と高さ約三メートルの石造層塔(県指定文化財)があります。

矢田部六人衆(殉教六人衆・二十八人衆史跡)

 寛文八年(一六六八)池田光政の宗教弾圧により殉教した日蓮宗不受不施派の僧妙覚院日閑ほか信徒五人の矢田部六人衆と、その一門で流刑となった二十八人衆を供善する堂域です。七日二十六日・二十七日(新暦)の両日、同派の信者が、この地に多数参拝し盛大な供養が行なわれます。


ゆったり温泉

和気鵜飼谷温泉(わけうがいだにおんせん)

 和気鵜飼谷温泉は和気駅から約3kmの場所にあり、穏やかな安らぎの空間で、心も体もリフレッシュできる温泉です。
 吉井川の水の恵みが歴史と文化を辿り、ふれあいの場所を作り出し、湯煙の向こうに「健康」の喜びを確かめられます。川と歴史に育まれた水の郷には永久に残したいおおらかな風情があります。
 湯量は日量150トン、泉質はPH9.5のアルカリ性単純温泉で、岡山県内では珍しく40℃の高温です。イオウ分を含み、神経痛・関節痛・筋肉痛などに効果があることから、ケア活動をはじめ幅広く利用されています。

 敷地内にはご家族からグループまで楽しめる4面の全天候型テニスコート、本格的屋内温水プールなどもあります。

 和気鵜飼谷温泉「延寿苑(エンジュエン)」へのお問い合わせは下記まで。
 Tel 0869-92-9001 / 〒709-0452 岡山県和気郡和気町益原666-1